【どうする家康】松平元康と武田信玄の格の違いと今後の関係【阿部寛】

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『どうする家康』第3話も面白かったですね。

後半けっこうヘビーな展開になりましたが、これも戦国時代ゆえの厳しさか…。

他の記事で軽くネタバレを書いていますが、元康は無事妻子と再会することが出来るのでしょうか?

それはそうと、物語中盤でまたも存在感あふれる大名が出てきましたね。

阿部寛さん演じる武田信玄です。

元康から来た救援の書状を部をわきまえていないと跳ね除けました。

それに対して「格が違うということか…。」と落胆する元康。

この時代武田と松平はどれくらい格の違いがあったのでしょうか。

史実をもとに確認していきたいと思います。

今回も史実のネタバレ注意となりますので大河ドラマ『どうする家康』の知識しかなく、毎週楽しみに見たい方はブラウザバック推奨です。

 

1.武田信玄とは

風林火山でお馴染み、阿部寛さん演じる武田信玄は甲斐国(山梨県)の大名です。

戦国最強ともいわれる騎馬隊を率いて、織田信長さえも恐れるほどの勢力を誇りました。

上杉謙信との川中島の戦いが有名で高い武力を誇る大名として有名です。

しかし信玄は内政も得意で、治水、新田開発、金山の開発などを積極的に行い国力を高めます。

高い軍事力の基盤は内政が素晴らしかったことが要因でしょう。

『どうする家康』の3話時点で信玄は、甲斐(武田)・駿河(今川)・相模(北条)の三国同盟を築いている状態です。

その後信玄は今川義元が討たれたことをきっかけに、三国同盟を解消し駿河を攻めます。

このことがきっかけとなり徳川・今川・北条と敵対しますが、北条と再び同盟を締結する事で周辺では最大勢力となります。

最終的に天下統一を目指し、上洛する途中で病に倒れて亡くなってしまいます。

 

 

2.松平元康と武田信玄の格の違い

シンプルに表現すると、元康にとって信玄は『ボスの同盟相手』です。

現段階でまだ元康は今川家から独立をしていません。

ドラマでも再三「駿府に帰りたい!」とゴネていましたもんね。

信玄からすると同盟相手の配下の面識ないやつが「ヤバいやつに攻められてるから助けて!」と頼んでくるようなものです。

ましてや信玄はこの後今川氏の駿河に攻め込む予定があります。

戦国屈指の大名攻め込む予定の配下であるよくわからん若造の相手なんかしないですよね。

これだけ格の違いがあれば、元康は書状を無下にされてもヘコむしかないです。

 

3.今後の武田信玄と松平元康

『どうする家康』第3話の時点では、大きな格の違いがある信玄と元康。

今後はどのような展開になるのでしょうか?

 

①今川領への侵攻

元康はこの後織田方に付くことで名前を家康に変えます。

そして今川家から独立し三河を平定します。

独立した家康は武田家と同盟を結び、今川領に攻め入ります。

しかし武田方の武将が裏切り、家康が取った遠江に攻め込んできます。

この件で同盟関係が解消し、家康と信玄は敵対関係になりました。

信玄と敵対関係になった家康は今川氏真と和睦し、北条氏康の協力も得ることが出来ました。

最終的に家康は北条の力添えで信玄を退ける事に成功しました。

家康は独立して早々信玄との関係が悪くなります。

これが武田家との長い争いの始まりです。

 

②三方ヶ原の戦い

家康が大敗北を喫したことで有名な三方ヶ原の戦いは、因縁の武田信玄が相手でした。

信長包囲網に織田家が苦しむ中、武田信玄は徳川領の遠江・三河国に侵攻します。

すぐさま信長に救援を依頼しますが、織田方も包囲網に苦しんでいる状況なのですぐに援軍は出せません。

そのため家康は自軍のみで武田家の相手をする必要がありました。

武田軍の猛攻で二俣城を失った家康は、浜松城に籠城します。

すると武田軍は家康が籠城している浜松城を素通りし、西に進んでいきました。

信玄になめられたと感じた家康は武士の面目を保つため、城を出て武田軍を追撃します。

しかし素通りは武田軍の罠でした。

まんまと罠にはまった徳川軍は武田の軍勢に大敗。

数多くの有能な家臣を失い、家康自身も命からがら敗走する結果となりました。

大河ドラマでは初回から家康を支えてきた家臣も多く亡くなってしまう衝撃的な戦いになるでしょう。

 

③信玄の死と長篠の戦い

三方ヶ原の戦いで勝利した武田信玄でしたが、病で亡くなってしまいます。

信玄の身体は結核や胃がんなどに犯されていたとの説があります。

上洛に向けて順調かと思われましたが、信玄の病がきっかけで武田軍は上洛をあきらめ撤退。

信玄の死後は息子の武田勝頼が武田家の家督を継ぎます。

そして織田・徳川連合VS武田で争った長篠の戦は、武田軍の敗北という結果になりました。

織田・徳川連合3万の兵に対して、武田軍は1万5千の兵であったとされています。

勝頼は勇猛な武将であったために、数で劣っていても戦国最強の騎馬隊で戦に勝てると思ったのかもしれません。

さらに長篠の戦は織田軍が鉄砲を用いて武田の騎馬隊を破った戦として有名です。

諸説ありますが長篠の戦いで敗北を喫した武田家は、ここから滅亡にむかってしまいます。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

『どうする家康』では今後武田信玄が強大な敵として立ちはだかるでしょう。

阿部寛さんの風貌もめちゃくちゃ強うそうですよね。

現状ヘタレ感のすごい元康は、史実で戦国最強の軍隊と言われている武田軍とどのような戦いを繰り広げていくのでしょうか。

今からとても楽しみです。

 

 

 

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