1月8日に放送された『どうする家康』めちゃくちゃ面白いですよね。
Twitterの世界トレンド1位になり、注目度が高いです。
家康はタイトル通りヘタレなことも話題になっています。
キャラの濃い武将もたくさん出てきました。
狂人感満載の織田信長(岡田准一)、見た目がパンチききすぎている武田信玄(阿部寛)、何言ってるかわからない鳥居忠吉(イッセー尾形)。
そんな中いきなり主君である家康を槍で追い回した武将がいます。
山田裕貴さん演じる【戦国最強の男、本多忠勝】です。
織田の軍勢にビビッて逃げた家康を追いかけ、張り倒して連れ戻した男です。
家康の家臣は序盤からアットホームな感じでしたが、忠勝だけ家康のことを認めないと無礼な態度をとりました。
そんな本多忠勝とは史実ではどんな人物だったのか。
本多忠勝を語るうえで知っておくべきエピソードを3つご紹介します。
歴史の話なので諸説あります。
ドラマのネタバレを含むので、ネタバレが嫌な方はお戻りください。
1.山田裕貴とは?
山田裕貴(やまだゆうき)さんはワタナベエンターテインメントに所属する俳優です。
1990年生まれの32歳。
2017年『おんな城主直虎』で大河初出演を果たしており、今回は2度目の大河です。
2012年ころからドラマに良く出演されているので、他の作品で見たことある人も多いでしょう。
映画の出演も多く、その役柄と印象のふり幅から【カメレオン俳優】と呼ばれています。
お父さんが元プロ野球選手だったこともあり、中学生まで野球をやっていました。
その関係で2018年にはプロ野球の始球式を務めたこともあります。
2.本多忠勝ってどんな人
『どうする家康』では主君であろうとも男らしくない行動をするものは許さない、硬派な立ち振る舞いをしていました。
過去の大河ドラマでも藤岡弘さんや高嶋政宏さんが演じており、戦いの中に生きる【THE 武士】といったキャラクターです。
史実でも厳つい武将で漆黒の鎧に鹿角の兜、肩から金色の大きな数珠を下げています。
武器は蜻蛉切という名槍。
刃先に止まったトンボが真っ二つに切れたことからなずけられました。
『どうする家康』第一話でも描かれていた、大高城兵糧入れが初陣です。
有名なエピソードとして叔父の忠真が手助けをして首級を取らせようとしたところ、「誰かの助けで首をとっても意味がない」と言い自分で敵兵を倒して首を取って戻ります。
このころから本多忠勝は周りの武将から一目置かれるようになりました。
そして初陣以降の戦でも大活躍を続け、【徳川を天下人にした男】とまで言われるようになります。
3.本多忠勝のエピソード
①三国志の猛将にも負けない武勇
1570年徳川家康は同盟関係にあった織田方として姉川の戦いに参戦します。
対峙するのは浅井・朝倉連合軍13000人。
織田軍が高い士気の浅井軍に苦戦する中、忠勝は単騎で援軍に来た朝倉軍に突撃し朝倉方の猛将真柄直隆と一騎打ちを繰り広げます。
徳川軍は単騎で突っ込んだ忠勝を救うためにも猛攻を仕掛け、朝倉軍を撃退する事に成功しました。
結果的に忠勝の勇猛さが徳川軍の士気をあげる事になったのです。
単騎での突撃や敵の武将と一騎打ちする様は三国志に出てくる猛将『張飛』と重なります。
張飛といえば長坂の戦いで劉備を逃がすための退却戦が有名ですが、本多忠勝も退却戦で武功をあげています。
一言坂で徳川家康が武田軍と遭遇し戦闘になった時のことです。
数で劣る徳川軍は忠勝をしんがりに退却。
その際忠勝は挟撃をうけますが、待ち構える武田軍を突破する事に成功しました。
②あの天下人も称賛
織田信長の死後、徳川家康は豊臣秀吉と対立します。
そして1582年、小牧・長久手の戦いで激突。
両軍一進一退の攻防を繰り広げる中、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破って勢いに乗る豊臣秀吉が3万の兵を率いて戦場近くに進軍。
忠勝はたった500騎で秀吉の進軍を阻止したと伝えられています。
2万の兵を前にして馬に水を飲ませるという大胆な行動をとった本多忠勝をみて、豊臣秀吉は忠勝を家臣にしたいと思い攻撃を中止したと言われています。
その後講和によって家康を配下に加えた秀吉。
当然秀吉は忠勝を家臣にしたいと打診しました。
しかし本多忠勝は秀吉からの誘いを断り、徳川家康への忠誠を通したのです。
また織田信長も本多忠勝のことを『花実兼備の勇士』と評価し、家臣に加えようとしたそうです。
織田信長、武田信玄、豊臣秀吉と戦国時代の英雄から実力を認められた素晴らしい武人です。
③生涯刀傷なし
『どうする家康』1話でも描かれた1560年大高城兵糧入れで初陣を飾り、その後57もの戦に参加します。
その57戦すべてで刀傷を負わなかったとされています。
(関ヶ原で島津の鉄砲隊に馬が撃たれ落馬した事はあり)
戦場で一切の刀傷を負わなかった忠勝は、目の病気で隠居を決意します。
そして忠勝は隠居後小刀を使い持ち物に名前を掘っている時、誤って自分の指を切ってしまいました。
目の病気の影響かもしれませんが、これが初陣後初めて忠勝が負った刀傷になります。
そして忠勝は自分の命が長くない事を悟り辞世の句を詠みます。
「死にともな 嗚呼死にともな 死にともな 深きご恩の君を思えば」
最後まで主君家康のことを慕った句ですね。
『どうする家康』第18話では一言坂の退却戦で山県昌景の軍と対峙して、血まみれになりながらも「無傷だ!」と言いはるシーンがありました(笑)
生涯無傷は本人が傷と認めなかっただけかもしれません。
とはいえ武田軍相手に圧倒的不利な状況から撤退したこと。
その後の軍議で対峙した武田軍の戦力を冷静に見極めたこと。
これらのことから戦国随一の武将であることは間違いないでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょう。
『どうする家康』の1話では家康を主君と認めず大暴れしました。
しかし回を重ねるごとに家康に忠誠を誓う男気溢れる武将になっています。
戦の場面では要所要所でカッコいいところを見せていますね。
今後さらに松本潤さん演じる家康と絆を深めていくことでしょう。
これからの展開もとても楽しみです。
他の『どうする家康』関連記事はコチラ
コメント