いよいよ始まった2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』
物語は秀長の青年期、秀吉はすでにどこかへ行ってしまった場面で始まります。
仲の良い家族で描かれている木下家。
しかし秀吉の出自に関しては謎が多いとされています。
武士ではない身分の低い出自なのは間違いないようですが、どのような説があるのでしょうか。
いくつかご紹介いたします。
1.秀吉の出自
①農民説
最も有力で有名なのがこの説です。
尾張の国中村という村で生まれたとされています。(現在の名古屋市中村区)
父は木下弥右衛門という人物で、農業をして貧しく暮らしていたようです。
当時の農民は足軽としても徴兵されることが一般的でした。
なので足軽といえば足軽ですが、普段は農家として働いていたようです。
この説が有力な理由は、幼いころの秀吉が貧しい生活をしていたという話しがたくさん残っている点。
ドラマでも描かれていましたが、秀吉が若いころ家を出て各地を放浪していた点。
などがあげられます。
ちゃんとした家だと跡取りが放浪して行方知れずなんてことはありえませんからね。笑
「草履取りから天下人へ」というサクセスストーリーもここから来ています。
ちなみに近年では貧しい農民ではなく、少し裕福な農民だったという説もあるそうです。
②侍出身説
1でも書きましたが、この時代は農民と足軽の境目がはっきりしていませんでした。
そのため父の弥右衛門は下級武士で普段は農業もしていたという説があります。
まぁどっちがメインかは言いようで、やってることは1と2同じような感じです。
この説が唱えられている理由は【秀吉が若いころから武士社会にうまく溶け込めていた】という点からです。
秀吉は村を出てから、まず松下家の家臣として使えたとされています。(今川義元の家臣の家臣の家臣くらい)
そこでもかわいがられたようですが、出奔し織田家に仕えます。
織田家で盗賊を捕まえたことがきっかけで、信長の直臣となり出世街道に乗ります。
さらに秀吉が出世した過程を見ても、すんなりと中国方面軍指揮官まで出世しています。
武士としての指揮能力がたかかったのでしょう。
ただの農民の子が武家社会でここまでうまくやれるかは疑問です。
なので弥右衛門が下級武士だったため、ある程度武士のルールを知っており武家社会に溶け込めたと言われています。
③被差別民出身説
一部では秀吉の出自は被差別民だったといわれています。
貧しい生活や父親がだれかはっきりしないといった事。
早くに家を飛び出し商人のまねごとをしたのち武家の家臣に仕官した事。
農民とはいえ跡取りが家を飛び出して自由にできるのか?
といったことからこのような説が唱えられています。
この説が広まったのは江戸時代。
徳川家が前権力者である豊臣家の評判を落とすために広められたというのが有力で、信憑性は低めでした。
しかし近年になって歴史学者の間でこの説が議論されています。
秀吉が商人のまねごとをしていたのは、農業をする身分ではなかったのでは?
という理由みたいです。
④天皇につながる家系
秀吉は天皇の隠し子だったという説もあります。
母親がかつて宮仕えをしていた際に身ごもり、宮仕えをやめてから生まれたのが秀吉であるというものです。
これは秀吉が天下統一を果たした後に自ら捏造して広めた嘘というのが有力です。
なぜこんなむちゃくちゃな話を捏造したのか?
それは当時の武家社会では出自がかなり重要なファクターだったからです。
当時の武家はよく平家につながる家系か源氏につながる家系かなんて話がされていました。
そんななか農民出身では箔がつきません。
なので自らを天皇の血筋と偽り、関白になるのは当たり前みたいな空気感を作ろうとしたのではないでしょうか。
現代の私たちからすると農民からのサクセスストーリーの方がカッコいいんですけどね。
2.秀長と秀吉は血がつながってる?
出自が不明の豊臣秀吉。
『豊臣兄弟!』の主人公秀長と天下人秀吉は血がつながっているのでしょうか。
結論、父親はわからないが母親は同じといわれています。
こちらも数ある説をご紹介します。
①異父兄弟説
豊臣秀吉と秀長は異父兄弟では?というのが一番有力な説です。
秀吉の父は木下弥右衛門、秀長の父親は竹阿弥(ちくあみ)という人物。
弥右衛門の死後、母親のなかが再婚した人物が竹阿弥です。
姉と秀吉は弥右衛門の子、秀長と妹のあさひが竹阿弥の子と言われています。
②どちらも弥右衛門の子説
異父兄弟説についで有力なのが、秀長も秀吉と同じ木下弥右衛門の子どもという説です。
秀長が天文9年生まれ、あさひが天文12年生まれ、弥右衛門が死亡したのが天文12年であるという文献があります。
そのため秀吉と秀長が異父兄弟と記載している『太閤素生記』が間違ってるのではないかという説。
ちなみに弥右衛門=竹阿弥という説もあります。
そうなると名前が異なるだけで、二人とも同じ父親という事になりますね。
③どちらも竹阿弥の子説
豊臣兄弟は前半生の一次資料が残ってなさすぎるので、様々な出自が語られています。
もうどっちも竹阿弥の子じゃね?みたいな説まで。
これは『太閤記』『朝日物語』の記述がもとになっています。
これらの文献によると秀吉は信長に使える際、竹阿弥入道の子と名乗ったようです。
3.出自不明の秀吉がヤバい理由
①どこの馬の骨かわからんのに出世
前述したとおり、秀吉はなんの後ろだけもない貧しい農家出身。
なのに信長に気に入られ出世しました。
現代でいうとそこそこの代位企業に入社して早々社長に名前を覚えられ、あだ名をつけてられていじられるような感じ。
コミュ力が異常だったのでしょう。
ドラマでは柴田勝家には嫌われてる描写がありました。
調子よくボスに取り入る平社員を、幹部は毛嫌いしている感じでしょうか。
『豊臣兄弟!』ではここから織田軍一の家臣になるまでどのように描かれるのか楽しみです。
②家臣団を持たないのに戦が強い
個人的にはこれが一番ヤバいと思います。
本来大名家や有力な武士の家は、昔からの家来的な人が多くいます。
徳川であれば本多家、鳥居家、酒井家。
伊達家の片倉家、上杉家の直江家などなど。
徳川家臣団は『どうする家康』でも描かれていましたが、三方ヶ原の戦いで主君のために命を懸けて戦う様が有名です。
秀吉は貧しい農民出身なのでそれがないんですよね。
ドラマでもとりあえず秀長を家臣にしました。笑
2話の時点で家臣は秀長と直?の2人だけ…。
規模が小さすぎます。
にもかかわらず姉ヶ崎で殿を務めたり、中国大返しの後山崎の戦いで明智を討ったり、賤ケ岳で柴田を滅ぼしたりと戦で大活躍しています。
秀吉はよく『ひとたらし』と言われますが、上司にではなく部下にこそ『ひとたらし』の効果を発動していたのかもしれません。
③歴史上唯一農民から関白に
最終的に天下を統一し関白という位になった秀吉。
関白は天皇に変わり政治を行う役職。
これまで大貴族のための役職でした。
武士は基本征夷大将軍になってましたからね。
なぜ関白を秀吉が選んだのかは諸説ありますが、貧しい農民→関白は異例中の異例。
ホームレスが社長になったくらいのレベルじゃありません。
平安時代から続いた貴族社会を脅かす出来事です。
まとめ
秀吉の出自については諸説ありますが、貧しい農民というのが一番有力。
最近になってそこそこ大きな農家だったのでは?という説もありますが、農民であることには変わりありません。
そんな秀吉が日本史上最大の出世を遂げる手助けをした秀長。
これからも豊臣兄弟から目が離せません!



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