【豊臣兄弟!】なぜ呼び方が違う?戦国時代の「戦い」「乱」「変」等を一気に解説【本能寺の変】

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2026大河ドラマ

大河ドラマ『豊臣兄弟!』が始まり、戦国時代に再び注目が集まっています。

1話はなかなか面白かったですね。

今川義元は大物感が出ており、予告映像で出てた【桶狭間の戦い】が盛り上がりそうです。

戦国時代の戦には「○○の戦い」「△△の乱」「□□の変」など、さまざまな呼び方が登場します。

そこで「全部戦なのに、何が違うの?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

実はこれらの呼び名には、戦の性質や立場、政治的な意味合いが込められています。

この記事では、戦国時代の雑学として「戦い・乱・変」等の違いを、豊臣秀吉の時代背景も交えながらわかりやすく解説します。

ドラマを楽しむうえで理解が深まる雑学としてお読みください。

戦国時代の戦さは「呼び方」まで重要だった

 

現代では大きな争いをまとめて「戦争」と呼びますが、戦国時代にはこの言葉はあまり使われませんでした。

【第2次世界大戦】や【朝鮮戦争】などがあります。

しかし戦国時代は、争いの規模・目的・誰が正義かによって戦の呼び名が使い分けられていたのです。

その名前を決めるのは多くの場合、勝者や政権側でした。

つまり呼び名そのものが勝者によってつくられた「歴史の評価」だったとも言えます。

①○○の戦い(桶狭間の戦い、長篠の戦い等)

「戦い」や「合戦」は、最も一般的中立的な呼び方です。

武将同士が敵味方に分かれて軍勢を率い、正面からぶつかる戦を指します。

敵味方がはっきりしており、戦場での軍事衝突そのものを表します。

今でいう戦争みたいな感じですね。

代表的なものは

桶狭間の戦い(織田軍-今川軍)

長篠の戦い(織田・徳川連合軍-武田軍)

関ヶ原の戦い(東軍-西軍)

政治的な評価が比較的少ないため、後世の歴史書や教科書でも使いやすい名称です。

②○○の乱(応仁の乱、島原の乱等)

「乱」という言葉には、大規模な反乱・内乱という意味が込められています。

主に幕府や朝廷、大名といった「支配する側」から見て、「反抗勢力」が起こした争いに使われました。

こちらも勝者が反乱を抑えたのちにつけた名称なのでしょう。

応仁の乱は少しややこしいですが、将軍家の後継者争いが絡んでいるのでこのような名称がつけられました。

島原の乱は江戸幕府という支配勢力に対して、抑圧されていたキリシタンが起こした反乱です。

現代でいうところの社会に影響のある大規模な内乱的な感じでしょうか。

 

③○○の変(本能寺の変、桜田門外の変等)

豊臣兄弟!でも登場するのであろう本能寺の変。

何でこれだけ変とよばれるのでしょうか?

「変」は、戦国時代でも少し特殊な呼び方です。

大規模な合戦というより、短期間で起きた政変やクーデターを指す場合に使われます。

政治的に主要な人物がかかわる事件的な感じですね。

本能寺の変は戦というよりも、天下人間近の織田信長が暗殺された事件(明智光秀のクーデター)という扱いでこう呼ばれています。

現代でいうところの軍部のクーデターや政治家暗殺事件という感じです。

 

④○○の陣(大坂夏の陣)

豊臣兄弟が活躍した時代の後のお話なので大河ドラマでは描かれないでしょうが、大坂夏の陣で使われる陣は特殊な呼び方です。

戦いに近い意味で使われますが、どこに布陣したか?という観点で名称が付けられています

大坂の陣は夏と冬に各大名が大阪各地に布陣して戦ったのでこの名称がつけられているのでしょう。

 

⑤征伐(甲州征伐、小田原征伐など)

征伐は敵対勢力を武力で制圧する事。

戦国時代では戦力差があるような時に使われています。

甲州征伐は弱体化した武田軍を亡ぼすために織田・徳川連合がおこないました。

小田原征伐は天下を手中にした豊臣秀吉が最後の抵抗勢力北条家を亡ぼすために行いました。

どちらもとどめを刺すというイメージです。

甲州征伐、小田原征伐はどちらも『豊臣兄弟!』で描かれそうですね。

 

まとめ

『歴史は勝者が作るもの』というのは戦国時代にもあてはまります。

勝った側が都合のいい名称をつけているケースもありますね。

もし織田信長が桶狭間で負けていたら、清州征伐なんて名前が付けられていたかもしれませんね。

このうな細かい部分に注目しつつ、大河ドラマを見ても面白いかもしれません。

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