【豊臣兄弟!だけじゃない】戦国時代の兄弟武将3選+番外編|運命を分けた絆と決断

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2026大河ドラマ

戦国時代は英雄たちの活躍だけでなく、血縁関係、とりわけ「兄弟」の関係性が歴史を大きく動かした時代でもあります。
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、兄弟の絆や対立、支え合いが物語の重要な軸になることが予想されます。

序盤では家督争いの末に自らの弟を殺害した織田信長と、兄弟協力して武功を上げようとする豊臣兄弟の対比が見所です。

本記事ではそんな「兄弟」という切り口から、戦国史を語るうえで欠かせない兄弟武将3組+番外編を厳選して紹介します。

『豊臣兄弟!』を楽しむうえで雑学として読んでいただけたら幸いです。

1.真田信繁(幸村)・真田信之

戦国時代の兄弟と言えばこの二人を上げる人も多いのではないでしょうか。

弟・信繁は大坂夏の陣で家康の本陣に突入する活躍で「日本一の兵」と称えられた名将。

兄・信之は徳川家に仕え、江戸時代を生き抜いた現実的な武将でした。

関ヶ原の戦いでは信繁が西軍(石田三成側)、信之が東軍(徳川家康側)という、まさに兄弟で敵味方に分かれる決断を下します。

これは、真田家を守るための“戦略的選択”

どちらが勝っても真田家が存続するよう、兄弟で役割を分担したとも言われています。

関ヶ原の戦いでは信繫は父の昌幸と共に上田城で徳川秀忠軍3万数千を足止めし、秀忠軍を関ヶ原本戦に合流させないという活躍をしました。

3000人にも満たない兵数で3万人を超える軍隊を足止めした昌幸・信繁親子。

結果東軍勝利により、昌幸・信繁親子は死罪を言い渡されます。

しかし信之が義理の父である本多忠勝を巻き込んで家康を説得した事で、二人は命を救われました

そして昌幸死後、信繁は浪人として豊臣方に味方すべく大阪城入りをするのです。

大阪の陣で忠義を尽くし散った信繁と、家康に仕え江戸時代を生きぬいた信之。

理想を貫き猛将として真田の名を遺した弟と、現実を選び真田の家を残した兄。

対照的な生き方こそが、真田兄弟を戦国史屈指のドラマにしているのです。

ちなみに真田信之・信繁兄弟を題材にした『幸村を討て!』という小説がめちゃくちゃおもしろいです。

読書好きな方は一度読んでみて下さい!

2.武田信玄・武田信繁

武田信玄・信繁兄弟は2026年大河ドラマ主役の豊臣兄弟に近い関係です。

甲斐の虎・武田信玄を語るうえで欠かせない存在が弟の武田信繁

信繁は戦場での武勇よりも、内政家臣団の調整主君(兄)への諫言といった【補佐役】として非凡な才能を発揮しました。

このあたりが豊臣秀長と重なります。

信玄が苛烈な決断を下すとき、それを和らげ組織を安定させていたのが信繁だったのです。

しかし第四次川中島の戦いで、信玄を守るために信繁は討死。

この喪失は武田家にとって計り知れない打撃でした。

信繁の死を知った信玄はその場で泣き崩れたとも言われています。

信繁の死後武田家は次第に内部のバランスを崩し、やがて滅亡へと向かっていきます。

信繁が早死にしなければ、武田家が滅ぼされることはなく秀吉の天下統一はなかったかもしれません

武田兄弟は、豊臣兄弟より先に、【支える存在の重要性】を戦国史に刻んだ兄弟と言えるでしょう。

ちなみに信繫という名前がまた出てきましたが、真田信繫(幸村)の名前は武田信繫からつけられたと言われています。

真田信繫の父である真田昌幸は武田家臣で、武田信繫を尊敬していたことから信繁の名前をそのまま使ったという説があります。

3.小早川隆景吉川元春

毛利元就の息子である小早川隆景吉川元春は、「戦国最強の兄弟補佐役」と称されます。

小早川家と吉川家に養子に出された2人は、毛利家の嫡男毛利隆元と3人で毛利家を支え中国地方の覇者にまで上り詰めました。

毛利元就といえば「三本の矢」の逸話が有名ですが、この話は創作とされています。

しかし謀略で各大名を翻弄した毛利元就が、兄弟で協力する事の重要性を息子たちに伝えていたのは間違いないでしょう。

冷静沈着な知将である隆景豪胆で武断派の元春

性格も戦い方も正反対ながら、二人は一切の対立を見せることなく常に毛利家のために動きました。

元春が前線で敵を討ち隆景が外交と戦略で道を切り開く。

この完璧な役割分担により、毛利家は中国地方の覇者へと成長します。

兄弟でありながら、感情よりも「家の未来」を最優先する姿勢

小早川・吉川兄弟は、戦国時代における理想的な兄弟関係の完成形とも言える存在です。

ちなみにこちらもおすすめの小説があります。

毛利元就について詳しく知りたい方は読んでみて下さい。

【番外編】島津四兄弟

最後は番外編として、島津四兄弟を紹介します。

島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久。

戦国最大の戦闘集団である島津家を率いた4人の兄弟。

この兄弟の最大の特徴は、全員が優秀な武将だったこと

長男・義久は謙虚で部下思い、大人しい性格ですが指揮能力が高い武将です。

次男・義弘は関ヶ原の戦いでの「島津の退き口」により日本史に残る撤退戦を成し遂げ、朝鮮出兵でも不利を覆す戦果をあげました。

鬼島津』というイメージは彼の影響が大きいでしょう。

三男・歳久は智将と評され四兄弟の中では参謀役として活躍。

秀吉が天下統一した後は、秀吉に逆心ありと疑われて切腹させられてしまいます。

四男・家久は島津のお家芸である「釣り野伏」で、沖田畷の戦いや戸次川の戦いなど多くの戦果を挙げています。

四兄弟は互いを尊重し、無益な内紛を起こさず、九州最強の戦国大名として生き残ります。

「兄弟が仲が良い」だけではなく「全員が強いこと」で九州統一間近まで迫った島津四兄弟。

まとめ

戦国時代の兄弟武将たちは、単なる血縁ではなく、戦略・覚悟・運命を共有した存在でした。

  • 理想と現実に分かれた真田兄弟

  • 名参謀の弟を失った武田信玄

  • 完璧な連携を見せた毛利の兄弟

  • 兄弟全員が名将だった島津四兄弟

これらの物語を知ることで大河ドラマ『豊臣兄弟』も、より深く、より感情移入して楽しめるはずです。

「兄弟」という視点は、戦国時代を“人間ドラマ”として味わうための最高の切り口。

ぜひ大河ドラマを見るときは、兄弟の関係性に注目してみてください。

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